令和元年度 市立大町山岳博物館 企画展北アルプスの山小屋

開催期間 令和元年7月6日(土)~ 9月29日(日)

北アルプスの山小屋

会期令和元年7月6日(土)~ 9月29日(日)
開館時間午前9時〜午後5時 (入場は午後4時30分まで)
会場市立大町山岳博物館 特別展示室
観覧料大人400円 高校生300円 小・中学生200円 ※ 常設展示と共通、30名様以上の団体は各50円割引そのほかの各種割引については窓口でお問い合わせください

開催趣旨

令和元年度山岳博物館企画展として、「北アルプスの山小屋」の歴史と建築に焦点をあて、北アルプスに建設された代表的な山小屋の建築や地形利用の特色を解説するとともに、北アルプスに現在営業されている現存する120余りの山小屋から、大町の山小屋を中心にその小屋が創設されるにいたった歴史を紹介する。

大正登山ブームの背景

立山室堂 立山室堂

明治5年に日本初の営業用鉄道が横浜-新橋間に開通したことを端緒として、明治22年には新橋-神戸間に官営鉄道敷設、明治24年には私鉄の日本鉄道により上野-青森間が開通するなど、全国の鉄道網は関東を中心に広がり、大正時代にはほぼ完成します。

一方、長野県内では明治44年までには官設の信越線、篠ノ井線、中央線が全通し、大正時代には私設鉄道が各地に造られ、大町でも明治45年に創立された 信濃鉄道株式会社により、松本から大町へ鉄道の敷設が計画され、大正5年7月には松本-大町間が全線開通。鉄道の繁栄は温泉や有名社寺への参詣など観光旅行へと、民間の旅行団体が後押しし旅行熱が高まります。この頃から大勢の登山者が都会から訪れるようになります。大正から昭和戦前期にかけて、新中間層と呼ばれる経済的、時間的にある程度余裕のある人々がブームの下支えをしました。

また陸地測量部が作成した北アルプス周辺の5万分の1の地形図が大正2年から順次発行され、昭和5年になると商業雑誌として初の大衆向け登山雑誌『山と渓谷』の発行を皮切りに、昭和10年代までに『ケルン』『アルピニズム』『登山とスキー』『山小屋』などの専門家向けの登山雑誌が創刊され、ガイドブックやパンフレット、ポスターなども作られ情報も充実し、登山への関心が向けられていきます。

昭和2年には、大阪毎日新聞と東京日日新聞主催で、昭和の新時代を代表する風景を「日本新八景」として選定し、風景や自然、観光と結びつけ注目されていきます。八景の中には、上高地渓谷が選出されており、焼岳噴火により大正池など新たな景色が現出したことにより、昭和10年頃には5万人を超える観光客が山岳景観を求めて訪れるようになります。国も観光振興とともに、将来を見据え山岳環境の保全に関しての指針を示すため、昭和9年、上高地を含む国立公園「中部山岳国立公園」を指定しています。上高地などは将来の国際観光地という期待を背負って、上高地帝国ホテルの建設がされ、北アルプス周辺の山小屋にもスイスの山小屋をイメージした山小屋の設計が計画されるなど徐々に山小屋のイメージも近代的なものへ変化していくことがわかります。

都会から人々を迎え入れようとする山岳景勝地をもつ地方では、明治時代以前からの猟師や杣人など山を生業としていた山人などが遺した登山道を足がかりとして徐々に登山道整備が行われ、登山者を安全に山へと送りとどけることなどを目的とした登山案内者組合の設立が時代の要請として盛んにこの時期起こってきました。同時に登山用具の進歩を生み出し、山小屋も明治の末から大正時代、昭和の初期にかけて安全で快適に登山するためにはかかせないものとして各地に建設されるようになっていきました。今回の企画展では、これら北アルプスに建設された山小屋に焦点をあて、山小屋の歴史のほか山小屋の建築の特色、また山小屋の役割や山小屋の活動をご紹介します。

様々な山小屋から営業小屋へ

様々な山小屋から営業小屋へ 白馬山荘 燕山荘燕山荘

江戸時代以前より北アルプスの山々には用途に応じた様々な山小屋が建てられていました。江戸時代から続く立山信仰の登拝などのための 山小屋や杣(木樵)小屋、狩猟小屋、近代になればダム建設や観光用など建物が建てられてきます。

登山が盛んになってくると、営業山小屋が建設されてきます。明治38年には白馬岳頂上直下にあった測量用石室の使用権利を取得し、松沢貞逸により日本で最初の近代登山者向けの営業小屋が作られました。現在の白馬山荘の前身、白馬頂上小屋です。

大正8年には山田利一により常念坊乗越小屋(現常念小屋)が、大正10年には赤沼千尋により燕の小屋(現燕山荘)が創設されます(現在 の本館の建物は昭和10年に再建されたもの)。また大正14年には今田重太郎により「穂高小屋」(現穂高岳山荘)が、大正15年には穂苅三寿雄により槍岳肩の小屋(現槍ヶ岳山荘)が創建され、規模は小さなものでしたが徐々に登山客を迎え入れる下地が出来上がってきます。

現在の大町市内につくられた山小屋では、大正6年に針ノ木雪渓下部に大沢石室が建設され、大正14年には百瀬慎太郎が隣接して大沢小屋を創設、昭和5年 に針ノ木小屋を建設・開業しています。

初代大沢小屋(大正14年頃)個人蔵初代大沢小屋(大正14年頃)個人蔵

大正13年には上条文一により烏帽子岳南方に烏帽子小屋が建てられ、翌14年から営業を開始します。上条らは昭和4年には三俣蓮華岳と鷲羽岳の鞍部に宿泊小屋を作ります(のち昭和21年に伊藤正一が購入し、現在の三俣山荘へ)。昭和2年には竹村多門治が、高瀬川湯俣に温泉を利用した休憩所、現在の湯俣温泉 晴嵐荘(当初は仙人閣)を建設するなど、現在も営業する主だった山小屋が戦前には創建され、いよいよ大町・北安曇地域における本格的な登山の隆盛の時代の幕開けを迎えます。日本全国には営業山小屋が700ヶ所以上、長野県内には約170ヶ所、北アルプスに関係する山小屋は県をまたいで120ヶ所以上にのぼると言われます。今回の企画展では北アルプスのうち、大町市に関係が深い山小屋を中心にその歴史を紐解きます。

市立大町山岳博物館 副館長

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